オペラ歌手のパヴァロッティ氏死去
2007年 09月 07日
文:三宅坂幸太郎(音楽ジャ-ナリスト)
輝かしい美声で世界のオペラファンを魅了したイタリアのオペラ歌手で世界三大テノールのひとりであるルチアーノ・パヴァロッティ氏が6日午前、イタリア北部モデナの自宅で死去した。71歳だった。
1935年、北イタリアのモデナに生まれた。アマチュアの歌手だった父とともに地元のコーラスで歌い、テノール歌手アッリーゴ・ポーラに師事。1961年にレッジョ・エミーリアの声楽コンクールで優勝し、同市立劇場で「ラ・ボエーム」のロドルフォ役でオペラ・デビュー。1965年にはミラノ・スカラ座にデビュー。1972年2月にはニューヨークのメトロポリタン劇場で上演されたドニゼッティの歌劇「連隊の娘」で高い音域を何度もこなし、典型的なベル・カント唱法と、張りのある高音で「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」とたたえられた。
1970年から80年代にかけて世界的な名声を確立。オペラの舞台だけではなく、映画やテレビにも出演。また1980年代からは音楽コンクールを主催し、若手声楽家の育成にも乗り出した。彼の活動はオペラの領域をはるかに超えていく。イタリアでサッカー・ワールドカップ(W杯)が開かれた1990年7月、決勝前夜のローマ・カラカラ浴場でスペイン人のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに特設舞台に立ち、世界を代表するオペラハウスのスターによる「三大テノール」公演を実現させた。94年、98年、02年のW杯でも続けた。各地で開かれた3人によるコンサートはテレビなどで世界各国に中継され、オペラに詳しくない人々にも、その名が知られるようになり、一種の社会現象化した。
また、ニューヨークのセントラルパークやロンドンのハイドパークでの大規模な聴衆を集めての野外コンサートも行い、音響設備を使うことや高い入場料でも論議を呼んだ。英国の故ダイアナ妃とも交流が深く、しばしばチャリティーコンサートを催した。公演のキャンセルの多さや途中降板でも物議を醸した。
70歳になる2005年10月での引退を表明し、日本では2004年に引退コンサートを行ったが、2006年2月のトリノ冬季五輪で開会式に登場。プッチーニのオペラ「トゥランドット」の中のアリア『誰も寝てはならぬ』を鮮やかに歌って驚かせた。同年4月、欧州で「さよならツアー」を始めたが、6月には膵臓(すいぞう)がんと診断され、ニューヨークで手術を受けた。以来少なくとも5回にわたって化学治療を出身地であるイタリア北部モデナで受け、療養を続けていた。今年8月8日に発熱し、市内の病院に入院、同25日に退院していた。しかし5日、自宅で病状が悪化し、この間に何度か意識不明に陥っていた。ロイター通信によると、パヴァロッティ氏は腎不全を起こし、彼に寄り添おうと家族や友人らが既にモデナの自宅に集まっていたようである。
同氏は手術後、2004年5月に開始したお別れ公演ツアーの中断を余儀なくされ、再び公演を行うことはできないのではと心配されていた。同氏の夫人であるニコレッタ・マントバーニさんは今年夏、「彼は体の調子が良く、新たなアルバムの準備をしている」と語っていたばかりだった。
マネジャーのテリー・ロブソン氏は、「マエストロ(巨匠)は、命を少しずつむしばむすい臓がんと、長く戦ってきた。病に伏せっていても、前向きな姿勢を崩さなかった」と述べている。
日本には1971年にNHK主催イタリア・オペラ公演の一員として初来日して以来、オペラ公演やコンサートなどにたびたび出演してファンに親しまれた。

写真: 6日、自宅で死去した『キング・オブ・ハイC』 ルチアーノ・パヴァロッティ氏
by gakuyuuehime | 2007-09-07 17:41 | 欧州楽信

